ラグジュアリーな日常

忘れんうちに書いとこ書いとこ!

『心からのごめんなさいへ』品川裕香

本書が刊行された後に発覚した事件を考えると、なんとも言えない哀しさが読後に残る。

「何が正しかったのか」や「どうすれば良いのか」なんてことは、やはり自分自身の頭で考えねばならない。

 

なんとも意味深な出だしで書き始めたが、本書は宇治少年院で少年たちを指導する法務教官たちを取材し書かれたものだ。

そして、本書において主役の様な立ち位置で描かれる法務教官の向井氏は、2009年に少年たちへ暴力行為をはたらいたとして逮捕されている。この事実自体は読む前から知ってはいたものの、読書中は、いや、向井氏の少年たちに対する情熱に触れている間は、目頭が熱くなるばかりであった。

 

法務省:法務教官区分,法務教官区分(社会人)

 

少年院に来た子どもたちに対する様々なアプローチが随所に示されている。緊張感を纏った筆致ではあるが、向井氏をはじめとする法務教官の思いを述べる場面、インタビューを受けてくれた少年たちへの思いが述べられている場面など、筆者の品川氏自身の暖かさが本書を通底している。

院へ来る子どもの多くが複数のことを同時に処理することが苦手なので、教官たちは「一つひとつの説明をイチイチ区切りながら伝える。一つの指示ごとにお手本を示す」(p20)のである。一連の動作を小さく区切り、その区切りごとに実際に見せながら指導することを、スモールステップという。

また宇治少年院に入院した子のインタビューの中に、「(前略)何か失敗したらすぐに、わかりやすく、やってみせながら教えてくれるのがいいのかもしれない」(p56)といった言葉もみられる。

「自分にも将来があるとわかっていなかった」(p57)という少年も、「自分でいろいろと考えることもできるようになってきて、"このままだったらずっと注意されっぱなし"だと思うようになった」(p57)という。

別の少年は、「(前略)ましてこれまでの自分を反省し、被害者のことを思い、先のことを真剣に考えるなんて……どうやったらそんなことを考えられるのか、その考え方すら、正直言ってわからなかったんです」(p88)と述べる。

そのような少年たちが、振り返れば「筋が通っていて納得のいくことしか言っていなかった」(p91)教官たちに信頼を置いていたのだ。そしてこう締める。「信頼できる大人は、親の代わりにだってなれると思うんです。そのことを僕は少年院で学びました」(p103)。

 

最近、教育業界では「発達障害」が取りざたされており、名前のみが先行的に広まってしまい、単なるレッテル張りとなっている現状があるという。発達障害と似た様な症状を示す少年たちは、直接原因ではないが統計的な関連を表す非行リスクに囲まれた環境の中にいる。それらをつぶさに分析しなければ、少年院を出た後の自立にはつながらない。そしてそのような個別具体的な支援を行う為に、個別処遇計画が存在している。

 

ここには書ききれない程の濃い内容がぎっしり詰まっている……。特別支援教育も個別指導計画といったその子に応じた教育計画の策定も行っているが、全日制学校ではそこまでのきめ細かいサポートはできていないのが現実だ。

目で見て覚えるのが得意な子、聞いて覚えるのが得意な子、体を動かして覚えるのが得意な子、それぞれの生徒にそれぞれの特性があり、その特性に基づき計画を立てるのが本来の教育であるべきと考える。

また、職員のモデリング効果についても言及している。少年たちが日々触れ合う職員がモデルになる以上、服装の乱れへも意識を高める活動を行っている。

 

このように、示唆に富む内容がこれでもかという程詰められている。これからもっともっと勉強していって、自分なりの答えを出していくしかない。がんばろう。