『まんがでわかる7つの習慣』まんが:小山鹿梨子 監修:フランクリン・コヴィー・ジャパン
『スイッチ・オンの生き方』村上和雄
1ページに1トピックなのでとても読みやすい。
遺伝子の基本的な情報からその働きについて、そして素晴らしい人生の生き方についても記されている。
基本的には、気になったところは線を引いているのだけれど、後半は引きっぱなし!笑
心の持ち方というか、為になることは多かった。
遺伝子にはオン・オフの機能があるとのこと。なんとなーくイメージで遺伝子というと固定的な働きを想像していたけれど、外部からの刺激に影響を受け、遺伝子のスイッチが切り替わるらしい。
この点が表題にもなっている通り、本書のメインテーマであろう。四章から遺伝子のスイッチのオン・オフについて述べられているので、遺伝子に関する基礎知識をお持ちの方はここから読んでも良いかもしれない。
オン・オフに関わる環境因子や妨げる要因など、著者の研究生活から得られた項目については本書を読んでいただければと思う。
また、刺激としてのストレスの二面性にも触れており、陰性のストレスと陽性のストレスがあるとのこと。この点については去年一昨年くらいに流行った気がするスタンフォードの教授が書いた本があった気がする(気がするを書きすぎた気がする)。
これは陰性ストレスくんと陽性ストレスくんがいるということではなく、ストレスを受ける僕自身がどう受け止めるかにより変わるとのことだ。
「遺伝子」という単語から学術的な要素もある入門書かなと思っていたが、自己啓発というと語弊があるが、「善く生きる」ということに対する心構えを説いてくださっているように思える。
遺伝子がもつ価値のすごさ、そしてそんな遺伝子で構成された僕らのすごさ、だからこそ、それらを生み出してくれた周囲への感謝、ひいては、著者のいう僕らの人知の及ばない偉大な力である「サムシング・グレート」への感謝へつながるのであろう。
面白い言葉であり、胸に刺さった言葉を最後に引用しておく。
『チャンスは、自ら「チャンス」と札をつけてやってくるほど親切なものではない』(本書p118)
『お母さんはしつけをしないで』長谷川博一
子育てに悩むお母さんへ向けた本。
本書を通底するのは、著者でありカウンセラーである長谷川氏の暖かい眼差しである。
礼儀、勉強、その他様々な子どもへのいき過ぎたしつけは、母子間でのしこりを生み出してしまい、やがては非行の原因ともなり得るとのことだ。
親の言うことに従って過ごしてしまい、反抗する時期に反抗できなかった子どもたちは、その悲しみや鬱屈を母親から見れば(社会常識という視点からも)理解できないかたちで曝け出してしまう。
母親、ひいては社会にとって良い子として過ごすことは、小さな身体に多くの悲しみを詰め込んでしまうのだろう。
僕自身は男だし子どももいないけど、お母さんだったら言うだろうなーと思える言葉が実は心にしこりを残すとのことで、「ほんまか……」といった感じてしまった。
お母さんが頭ごなしのしつけまで担当、言い換えれば父性の部分を担当することで、子どもは逃げ場がなくなってしまう。
僕も社会常識というメガネをかけてしまえば、簡単に批評者になってしまうし、「〜ねばならない」「〜であるべき」といった考え方をしてしまう。このことはほんとに反省しなければならないなぁ……。
電車やお店の中で騒ぐ子どもを注意しないお母さんも、家という外部からの目がなくなる空間では、とてつもない怒り方をしていることも多いそうだ。その裏側には、自分が怒られ続けて育ったという幼児期の環境も影響しているとのこと。情けない話だけど、電車で騒ぐ子どもは子どもだからで済ましてしまい、怒らないお母さんを「なんで注意しないんだろう」と心の中で思うこともあり、注意しない(できない)背景にまで心を砕いていなかった自分が恥ずかしい。
本書を読み進めて、ではなぜこの時代にお母さんたちは父性まで担当しなければならなくなったのか、といった疑問が頭に浮かんだ。
長谷川氏は、昔もいい加減な育児(頭ごなしな父性的しつけ)を行なっていたが、一家族あたりの子どもが多く、また社会全体で考えても子どもが多かったので、目を行き届かせることができなかった。つまり、子どもは子どもで困難にぶつかり、自分の力を使って成長していたのだ。しかし、極端な少子化路線をひた走る中で、お母さん、そして社会の目が子ども一人ひとりに行き届いてしまい、「しつけ」「勉強」という物差しで測定され始め、ぶつかるであろう困難も先回りして取り除いてしまったようである。
面白い論考ではある。本書で幼児期の「ツケ」が青年期などで曝け出されると述べられているが、ある意味で社会全体としても、少子化時代へ陥った「ツケ」をお母さんたちだけが清算させられているとも言えるのだろうか。
だとしても、そんな論考は悩めるお母さんには役立たない。だからこそ、長谷川氏はある意味で誤解を招く言葉を使いつつも、お母さんへが自己肯定感を高められる受容的な態度を貫いたのであろう。つまり、いやらしい見方をすれば、本書は「悩めるお母さん」の「お母さん」なのだ。ありのままでいい、それでいいんだ、まぁいいじゃない、今の未熟な自分を認めてあげられるからこそ、成熟に向かい歩き出せるのであり、未熟な我が子を包み込めるのだ。
本書は、育児のノウハウ本というより、そんな心を涵養する著書であったと思える。